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令和元年5月22日 歌舞伎町弁財天祭典 [事務局]


【歌舞伎町公式アーカイブ】令和元年5月22日 歌舞伎町弁財天祭典より 12m23s
主催者・片桐基次氏(歌舞伎町商店街振興組合理事長挨拶)
寛永寺不忍池辯天堂 輪番 北岡住職の弁財天についてのお話など
歌舞伎町弁財天
(歌舞伎町1-13-3 歌舞伎町公園) ~歌舞音曲・商売繁盛の神様~
《弁財天の縁起と歌舞伎弁天の由来》
歌舞伎町はかつて、この地が、肥前国(長崎)大村藩主だった大村家の別荘があったことから(明治〜大正期)「大村の森」と呼ばれる場所だったそうです。真ん中に池とそれを湿地と森が囲み、明治期は絶好の鴨場だったとか。大正二年、上野寛永寺の不忍弁天様の分祀として本尊を勧請、池のほとりに祠が祀られたのが始まり。
明治26年東京の市民に飲み水を提供する淀橋浄水場が建設された時にその残土で残っていた鴨場の池が埋め立てられ、さらに大正9年には現在の新宿東宝ビルの辺りに府立第5高等女学校ができ、徐々にこのあたりはひっそりとした住宅街になっていきました。池が無くなるも弁財天の祠はあり続け、やがて、大正十二年に土地の所有権が尾張屋銀行頭取の峯島家に移転した頃を機に、「峯島家 尾張屋銀行 町内篤志家乃淨財で」本堂改築を行いました。
昭和20年4月の空襲で消失、その際、熱心な信者の方(岡安たか子氏)が自身で本尊を持ち帰り、その後、地主であった峯島家に返還、戦後復興期に改めて、消失した弁天堂の用地に仮殿を建設されました。その後、弁天堂用地は歌舞伎町商店街振興組合に所有が移転、現在の公園用地はその一部を新宿区に寄贈したものです。現本堂は昭和38年に歌舞伎町商店街振興組合所有地に建設された建物に設置されたもの。
以来、歌舞伎町商店街振興組合は毎年5月、組合員の古希の祝いとあわせ、上野寛永寺より僧侶を招き、この弁財天で祭礼を行っています。
 
The fortune of Benzaiten, and the origin of Kabuki Benzaiten - The god of music, dancing, and thriving business.
Kabukicho used to be swampland where lots of gods were enshrined.In April of 1945, the shrine with all of its amulets was burnt down. One devoted believer evacuated Benzaiten from the tragedy.
Kihei Suzuki, leader of restoration association, had built a temporary shrine for Benzaiten before they restored the town itself in 1946.
This is where the shrine still stands. On the monument in the shrine, the following is inscribed "In honour of our everlasting respect for Benzaiten as a neighbourhood guardian".

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